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SSERのコト、エンデューロのコト、少しマジィで話してみませんか

最新号(3/29)

No4 2000/2/26

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12-22-1VISUAL.jpg (173527 バイト)The Talk

さて始まりましたThe Talk。ここではジャンルにとらわれず、過去の事今の事これからの事を、気楽に楽しくおおしゃべりしていきます。筆者は毎回ローテーション。さて今週は誰が書いたのかな?

第1回「SSERのコト、エンデューロのコト、少しマジィで話してみませんか」その1

 最近アンケートの回答の中にSSERとは何の略ですか、とかSSERの歴史が知りた〜い!、また誕生秘話を教えて!等々お便りを数多く寄せられてまして、そこで少しSSERの歴史をひもといてみようと思います。

 私自身SSERとの関係は1988年からなので、それまでのことは今までに聞いたことや当時の資料を参考に書いていきます。今回はSSERの誕生を中心に書きますね。1985年5月1日「クローズドではないエンデューロを開催する」と発言して実行委員会を召集しました。目的はオンタイム制のリライアビリティエンデューロ、まんまISDEって言うの。そこで連日の作戦会議のテーブルでは、警察他関係当局へのアプローチなどなど数多くの問題が検討され続けました。規則の制定も大変だったようですね。その中でもう1つの問題だったのが大会名称です。実行委員長の山田がよくよく考えて「四国スーパーエンデューロラリーShikoku Super Enduro Rally」略してSSER(頭文字をとったもの)。みんなの前で発表したその時、周囲は「なんじゃ、それは?」「エンデューロってナンゾ?」「なんでエンデューロとラリーがくっつくんぞ!」「スーパーっていうのはおかしいコトナイカ?」「etc」だったそうです。ネーミングについてはちょっとうるさい山田ですが、この時こんなにSSERが大きくなると思ってたんでしょうか。どうせなら日本とかインターナショナルとかつければイイカッタのに。この時、山田 徹 30才 写真を見ても若い。この頃は体力も充分あったんだろなぁ。しかも短パンにハイソックス。元気ダ。当時は毎日バイクに乗っていたらしいです。

 山田は当時日本で行われていたエンデューロと言うものを何戦か経験していたんだけど、山田が考えているエンデューロとは、何か違うような気がしていたそうです。この何戦かの経験の真相は実はいろいろありまして、チェックカードを紛失してしまってリタイア、転倒による骨折でやっぱりリタイア、うん、どうなってるんだ。この時イメージにあったのはパリ・ダカであったり、バハであったり。でも、そういったビックラリーに参加したいと思ってもなかなか参加できるもんじゃない。もっとみんなが手軽に出かけていけるラリーがあればいいなと思い、そんで、やっぱヨーロッパスタイルよね、ISDEかなぁ、そして自分達が理想とするものを提供できる立場になれたらよけいに楽しいだろうなと。それで、昔やってたトライアルクラブの仲間に声をかけ話してるうちに、じゃ僕らでやってしまおう!という事になり、仲間のそのまた仲間にも声をかけ、実行委員会を発足しSSERが生まれたということらしいですが...真相は本人に聞いてみんとワカランのであるよ。

KUROKAWA