「SSERのコト、エンデューロのコト、少しマジィで話してみませんか」その4
さて、1987年第3回大会のコト。
9月から8月へ、1ヶ月繰り上げての開催となった。競技運営システムに大巾な改善が見られ、ステージ1は早朝、ステージ2は夜間という現在のカタチとなったのもこの年からである。また、この頃山田も特に難所づくりに凝っていたらしくて、あの阿蔵ヶ池の1本ピストも山田達が発見。今では愛媛の名所に挙げられているが、当時は道すらわからない程に荒れていたのを、ていねいに道をつけてったのは、我々なのね。でもチョット1人で行ってみようか?って気にならないね。そして美川スキー場も登場。ヌルヌルのヒルクライムがありましたね。オフィシャルチームもこの年から新戦力が投入され、各CP(チエックポイント)に投光器とSS(スペシャルステージ)の入り口にクレーン車という超過剰装備ぶり。(ちょっと予算オーバーしすぎたらしい。)そして林道内をクレーン車やオフィシャルのトラックが大バトルを繰り広げられたそーな。
で、2回大会でも問題になった集計システム。この大会から集計システムは外部の専門化に外注。表彰式前に出てきたRESULTSを見た山田が「これは違う」ということで表彰式にRESULTSが無かったの。結果をよく調べてみたら入力ミスだらけで、この年以降特に集計についてナニよりも山田はウルサクなったのであるよ。
そして、第4回大会からSSERの一員となった私はどんなことになっても表彰式までにRESULTSを出すことを命じられた。はじめてのSSERは時間と眠気との勝負となった。今から考えてもよくやったと思うよ。その時、集計に携わった女性30名のお話は次回へ。お楽しみにね。
KUROKAWA
写真
第3回SSER 2daysの前夜祭後。嵐の前?の「ほっ」と一息。
おいしそーにビールを飲むヤマダ。(…でも、大会後はもっとうまいんだ!!)
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