「キッカケなんてどこにでも転がっている。」
ども。まるです。
私は第8回のモンゴル、リタイヤしています。
BTOUは、せっかく始めた事だから完走するまでやってやろうと思ってエントリーしたんですが、じゃあ前回のRRMはなんでエントリーしたの?というお話です。
話は2002年の事。この年ラリーレイドモンゴルに行くつもりなんて全然ありませんでした。その頃、1年のうちで何より面白いイベントはTBIでした。その後継として始まったツールドニッポンに出ようとXR400を購入。そのはまり様はハンパじゃなくシートは改造したし、メーターはXRのデジタルメーターからバージョンUPしてラリー用を、バイクは全てTDN仕様に作っていました。
ところが3月も終わりに近づいた頃、とある刺客がやってきたのです。その刺客はIさんといって、旦那さんのお友達でした。出張で宮崎に来ているというので一緒に食事でもと旦那さんから連絡が入ったのは夕方。熊本より旦那様が帰ってきて食事に行くことにしました。当時の私はというと、結婚して宮崎で勤めていた会社を辞め、熊本へ引越す準備中でした。
集まったのは宮崎のバイク屋さんの面々。Iさんはモンゴルのことを熱く語りました。どんな風景が広がっている。とかこんなに気持ちよく走れる。とか、絶対行ってみないと分からない。とか。うーん、行きたいなあ。なんて口走った(いえ、本心でした)のは運が良かったんでしょうね。彼は私を口説き落として帰りました。その場にいた旦那さんもダメとは言えず「行ってきたら。」という返事。こうして私のモンゴル行きは決まりました。
後で観察していて分かったのですが彼はお酒が入ると熱く語る方のようです。でも、彼が宮崎に来なかったら私はモンゴルに行っていなかったと思いますので感謝感謝です。
さて、行くことになったのですが、バイクの準備をどうするのか。何のノウハウも部品も無いのでお友達に電話しまくって余っている部品は借りる。無いものは作り方を教わって作る。そんな感じで準備しました。タンクなどの部品はすぐに頼んだけれどもいじり始めたのは4月末。船積みは6月22日。はて??間に合うのか??それからというもの、旦那さんは熊本に放って宮崎のバイク屋さんでバイク作りしてました。
部品を全部つけての初試走が6月10日。宮崎から熊本まで高速道路で。家に帰ってそのまま船便で送る荷物をまとめ横浜へ向けてに出発したのは20日です。ほとんど試走なしでバイクはモンゴルに旅立っていきました。あまりお勧めしませんがそんな感じでもラリーには行けます。
結局、キッカケなんてどこに転がっているかも、いつやって来るのかも分からないと思いました。でも、転がり始めたものを無理に止めずに流れに任せてしまうのが次の一歩を踏み出すためのコツかも知れません。
コレを読んでいる方の中にも明日、エントリー用紙を書くことになる方がいるのかも??当たって砕けろですよ。 |