コラム

「熊野古道、日本の道を行く」

2022年、ついに紀伊半島深く熊野古道とその周辺にラリーを開催することとなった。
深い歴史と神々の地である、この熊野三山と那智勝浦の海。特別の感慨を持ってこれを組み立てている。
ただし、すぐには完璧なルート設定が出来なかった。ひとつには雨の多いこの地域の特有の林道群のコンディション。
そして複雑な許可関係だが、こうしてまた深く美しい森も山も守られているという事なのだから、大会ごとに進化していく、
またハードさを増していくことを楽しみにしていこうと思う。
そもそも熊野古道とは、なんぞやという話を簡単にしようと思う

熊野古道とは、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社この三社を熊野三山という。
この参詣道のことを言うのである。2004年に世界文化遺産に登録された。
今回のルートは多くはその熊野古道に並行して走る路であり時折交差するので、
巡礼の旅人ととの接近を気を付けなければならない箇所もある。

熊野古道は1本の道の事ではなく熊野三山に参詣するいくつもの道のことを言っている。
そのうち今回は主に交差したり並行したりするのは次の3つのルート
小辺路(こへじ、高野山 – 熊野三山、約70km)
中辺路(なかへじ、田辺 – 熊野三山、約84km)
大辺路(おおへじ、田辺 – 串本 – 熊野三山、約120km)

そもそも熊野は自然崇拝の地として「日本書紀」にも著され、天皇家のみならず庶
民に至るまで階層にかかわらず巡礼の参詣を招いた。

平安時代中期、宇多法皇の熊野御幸(908年)から亀山上皇まで374年にわたり94回も行われていた。
当時の行幸とは実に大変な旅であったろうと思う。
その後には北条政子も鎌倉から上洛の機会に二度の三山参詣に足を延ばしている。
明治まではとにかく多くの人々が熊野に詣でたが明治39年「神社合祀令」が発布され
熊野の神社数が減らされ熊野詣の習俗は廃れ、近年国道が整備されるまでは
一部が生活道として使われる程度にとどまっていた。

あまりにも簡単な説明ではあるが、忘れてはならない日本の神秘的な習俗であり、
われわれ日本人はここに何かを感じ、足を止め旅とラリーと、なにか新しい自分に出会う
マインドフルな時間を過ごしたいと思う。